ギャンブル依存症という言葉がカジノ解禁に向けて、ますます多く耳にするようになってきました。

日本によるカジノ解禁でギャンブル依存症の問題という時には大抵は反対派の苦し紛れの批判に過ぎないと感じます。そもそもカジノ反対派は良いですが、ギャンブル依存症を論拠にするなら、そもそも政治活動の中でパチンコ・パチスロ、競艇、競輪、競馬なども今までの政治活動の中で批判をしていなければなりません。

カジノ解禁の前に国営の賭博に関しても疑問を投げかけている政治家もいたのでしょうが、そのような人の方が少ないですし、また既得権的になっているので、それぞれたてつくと先輩政治家に目をつけられたり、政治家生命が危ないという事で言えないなんて腰抜けがたくさんいるのでしょうね。

 

まあ、そんな事は良いとして、オンラインカジノのギャンブル依存の対策は実はかなり進んでいるという事をご存知でしょうか?

 

オンラインカジノのギャンブル依存症の対策

公正公平にまともに運営をしているオンラインカジノサイトでは実は最も先進的なギャンブル依存症の対策をしていますし、サイト内でもギャンブル依存症のコンテンツを設けています。

オンラインカジノでは、自己規制をサイト内でかける事が出来ます。サイト内にアクセスを出来なくして、プレイをする事を期間的に不可能にする事が可能なのです。大抵のオンラインカジノでは、このプレイ不可能にする自己規制のシステムを導入しています。

この規制期限を過ぎるまで、自己規制をかけた本人がオンラインカジノサイトに連絡をして解除してもらおうと思っても解除をする事が出来ません。

やはり自分が主にプレイをしているオンラインカジノサイトでプレイをする事が出来ないという事が最もギャンブル依存症には効果的なのです。

 

だからオンラインカジノでは本人が行った自己規制によってオンラインカジノサイトにアクセスできない状況と期間がしっかり経過をしない限り本人から解除の申請を受けても、それは出来ないという事で突っぱねるのです。

 

 

 

ギャンブルだけでなく全てが依存症

ギャンブル依存症という言葉が出てきたのはいつ頃からは忘却しましたけれども、よく考えれば、かなり過保護であるとは思います。ギャンブル依存症は病気だから意思だけでは治せません・・・なんて正論のように聞こえる言葉がありますが、ギャンブル依存症で過呼吸でぶっ倒れるとか、そんな事ありませんよね?

何かの物事に打ち込むというのは、つまりは依存症ですよ。

それがポジティブな方向であれば「熱中」「打ち込む」と言われます。反対に、ネガティブであれば「依存症」と言われます。

 

「ギャンブル依存症などは周囲や社会の理解が必要です」と声高らかに言っている人がいますが、それ自体もビジネスであるという事も考えなければなりません。依存症対策の人々も、それを正義に基づいて訴えているつもりなのでしょうが、でも、その人々がいないと専門家を名乗る事が出来ない人が定義をつけパターン化をし新しい依存症、病気を作っていくのですよ。

 

なので、その点の理屈も考えて理解をしておく必要があります。社会的に耳障りよく聞こえが良い事が、本当に良い事かという事は案外と別ものです。ですから、よく物事を理解しながら、その理屈の構成を考えていく必要性があります。

 

ただ、対策をしなくても良いと言っているわけではなく安易なポピュリズムで正義感で正しい事を言っていると思い込んでいる人が数年後にはそんな事を忘れて、逆の事を言っているなんて事は何年も繰り返されてきた事です。安易なポピュリズムや、またそれに伴っての集団ヒステリーみたいなものが、最近本当に多いと感じます。

 

カジノ推進法案、カジノ解禁、ギャンブル依存症と共に、理屈の立て方、考え方、論理構成などの事、社会の事など考え方やロジックを学ぶ良い機会であると思いますから、そのような事を考える機会になればとも思います。